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はじめての中国茶・台湾茶

 ここでは、お茶の簡単な歴史から、一生かけて楽しめる台湾茶・中国茶の魅力をお伝えし、“普段のくらしで気軽に台湾茶・中国茶を楽しむ”提案もしております。
(右メニュの通り、トピックごとに簡単に解説をしてあります。“全体”を表示して上から順に読んでいただくと、お茶の世界の概要がわかるようになっております。)

 1990年頃から日本でも少しずつ親しまれてきている台湾茶・中国茶ですが、まだまだ馴染みの無い方も多いはず。

 お茶の歴史は少なく見積もって3500年、
 一足飛びに、あるいはスキップするように、眺めてみましょう。


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# by kamefuku-tea | 2009-06-15 09:43 | ごあいさつ

お茶文化の始まり

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 お茶が飲まれ始めたのは遥か昔、今から3500年ほども前、雲南省のハニ族が土鍋を使ってお茶を飲んでいたという話があります。現代を生きる私たちからが思い浮かべる“お茶”という言葉からはちょっと想像しづらい風景が広がっていたに違いありません。お茶の文化の源流は、山あいの部族の習慣として、鍋でぐつぐつ煮て、みんなで分け合って飲んでいたお茶、ということになるようです。

 3500年も昔から(紀元前ですね…)お茶が飲まれていたのです。

お茶文化の始まり_a0127404_10303268.jpg
【お茶の文化の始まり】
 お茶がそれなりに“文化”という雰囲気を伴って扱われ始めるのは周の時代のことです。周の武王が殷・商を滅ぼし、国を治めるようになり、そこへお茶が貢ぎ物として献上されるようになります。ここからお茶の文化が始まると言っていいようです。

 その頃、お茶を口にできるのは、宮廷の文人たちだけでした。そこではお茶が大事にされ、宮廷文人たちのたしなみとしての地位ができあがっていきます。(ちなみに、当時のお茶は《餅茶(団茶)》と言って、蒸した茶葉を固めたもので、削って飲んでいました。なんだか薬みたいですね…。)

※写真:上は彩陶土器の陶片の紋様/下はプーアル茶

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# by kamefuku-tea | 2009-06-14 10:32 | お茶文化の始まり

お茶の文化の広まりと陸羽の茶経

お茶の文化の広まりと陸羽の茶経_a0127404_10335791.jpg
 さて、文人たちのたしなみとしての位置づけが確かなものとなったお茶は、秦の全国統一で黄河流域へ広まり、さらにはシルクロードの開通、インドから伝わった仏教の動きとともに各地へ広まっていきます(お寺にお茶の樹が植えられていたりするのはこのためです)。

 お茶が文人になるための必須項目(書・画・琴・品茶)となり、各地に点在する文人たちや“科挙制度”を経て文人となることを志す者たちのお茶に対する知識の欲求は必然的に高まっていきます。

 そして、この頃(唐の時代)になると、皇帝への献上品としてのお茶も“献上茶”として制度化されます。

 このような状況の中、陸羽(りくう)が『茶経』を記します(たまたまのようにも、その時期の必然のようにも見えますが…)。『茶経』は当時のお茶に関する知識を網羅した形で書かれた、今でも色あせることの無い“お茶の文化の原典”とされています。

※写真:陸羽の姿

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# by kamefuku-tea | 2009-06-13 10:36 | お茶の文化の広まり

お茶の飲み方の移り変わり

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 宋の時代になると、芸術を擁護し、《抑武揚文》が治国方針であった徽宗(きそう)皇帝のもと、文人階層が大規模に形成されます。徽宗(きそう)皇帝自身も『大観茶論』なるものを記します。

 お茶の飲み方にも変化が現れ、『闘茶(とうちゃ)』の文化が育まれます。闘茶は点茶(茶を粉に挽いて、茶碗へ入れ、匙などで混ぜて点(た)てる方法)の技術を競い合い、論じ合うというものです。

 点てた泡の様子を眺め、泡の散り方を見て、互いの知識をぶつけあうという、それこそ文人らしい、優雅で風情のある“闘い”であったようです。

お茶の飲み方の移り変わり_a0127404_10422853.jpg
 一方で元代にかけては『撮泡(ツァパオ)』と言って、茶葉とお湯を直接器に入れる、茶壷(急須)に入れる飲み方も生まれています。(現代で広く親しまれている飲み方のもとになっているものと言えるかもしれません)
 
 さらに明代になると明の太祖・朱元璋により、献上品は『散茶』(茶葉を蒸して乾燥させたもの)に限る、という時代が訪れます。『餅茶(団茶)』の製造が廃止され、全国のお茶農家で『散茶』の製造が始まるということになります。これは現在、親しまれている多くの茶葉の製法と同じものです(中国茶の代表のように日本で最もよく知られている、烏龍茶もこの頃に誕生しています)。

 簡単におさらいしておくと、

 雲南の土鍋のお茶に始まり/周の時代にお茶が献上品となり/周の時代の『餅茶(団茶)』(固形茶、削って飲む)/宋の時代の『闘茶』(お茶を点てる)/元の時代の『撮泡(ツァパオ)』(茶葉とお湯を直接入れる)/明の時代の『散茶』(蒸して乾燥させた茶葉)

 ざっと眺めてみると、お茶そのものはこのように変化をしてきました。

 そして天下泰平を願う文人たちの想いとともに、長い時間をかけ、よいものは残し、更によりよいものを求めて来た結果、今では実に多くの種類のお茶を楽しむ事ができるようになっています。

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# by kamefuku-tea | 2009-06-12 10:48 | 飲み方の移り変わり

茶器と喫茶法

茶器と喫茶法_a0127404_1052401.jpg
 茶器の魅力は、シンプルに言うと意匠・造形の美しさということになるかもしれません。

 そしてその奥には、やはり文人たちの姿が見え隠れします。これを知ることで味わいがぐっと増してゆきます…。茶器の意匠・造形は、それぞれの時代の喫茶法、文人たちの思想・想いと密接に関係しています。

 例えば『闘茶』が全盛の時代には、泡の様子を眺めやすい黒い茶碗がもてはやされていたり、『撮泡(ツァパオ)』『散茶』などの時代が来ると、お茶の色がもっとも美しく見えるものということからか青磁・白磁の茶器が尊ばれるようになります。(世界を席巻した“白磁”誕生の背景とも言えます)

 茶器の大きさにも文人たちの好みが反映されています。日本で暮らす私たちから見ると、ちょっと茶器が小さいような気が…ということがよくあります。たとえば80ccくらいの茶壺(急須)など、一体どうしたんだろう? というほどの小ささです。

 これは明の時代になると、それぞれの文人がお茶を熟知し、小型の茶壺(急須)を用いて、「自らお茶を入れて自らそれを喫する(お茶は、正式には飲むと言わず、“喫する<きっする>”と言います)」という風潮が広がったためです。

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# by kamefuku-tea | 2009-06-10 10:53 | 茶器/各時代の喫茶法